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神社での写真撮影はもうできないかも…。

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垂井町の南宮大社で七五三の撮影に行きました。

南宮大社は古くからあるのですが、関ヶ原の戦いで毛利軍が陣を構えた場所として僕は好きです。毛利軍は東軍の家康に付こうと思っていたようですが結局合流できず、なぜか西軍の総大将にされてしまいました。不本意の戦いですからたいした仕事も無く戦いは終わってしまったのですが、この合戦後家康に多くの領地を没収されてしまいました。石高が減らされているのに同じ数の家来を召し抱えておくのにも限界があり、お家取り潰しの願いを出さばければならないほど長州の人たちは苦しい境遇にさらせれてしまいました。

この時の恨みを江戸時代常に持ち続け、幕末にはらすことになります。明治維新の立役者となった長州藩士は明治の新政府の重職について日本の近代化を進めていきます。しかし開国した時に各国と結んだ不平等条約が足かせになりいつまでたっても欧米の国々と対等にはなりません。

欧米諸国がなぜアジアの国々を同じ一等国と認めないのか。その答えは資本主義の未熟さではないかと伊藤博文は考えました。日本は封建的な時代が長く続き過ぎた為に身分による差別や偏見が根強く残っていました。これでは健全な資本主義は育ちません。では欧米諸国はどうやって資本主義を確立させることができたのか。伊藤博文の見解は「神の元に全ては平等である」という一神教であるということです。ならば日本も一神教にしなければ資本主義は確立できない。やおよろずの神ではいつまでたっても不平等な条約を解除してもらえない。そこで天皇を神にすることにしました。

日清、日露の両戦争に勝利したことで天皇は奇跡を起こせる神になりました。他のアジアの国々はほぼどの国も欧米諸国の植民地状態でしたので、これを解消させるために大東亜戦争が始まりました。そして負けました。幕末に長州藩士が志をたてて作ってきた日本は敗戦によって全てを白紙に戻しました。

かといって徳川の時代に戻る事もできないので、路頭に迷う事になりました。現在進行形で…。

神社にはカメラマンがいっぱい。

祝日のためにお宮参りや七五三で賑わっていました。やはりカメラマンも何人かいましたが女性が1人でカメラを持って神社を撮影している姿を見かけます。カメラが趣味なんでしょうね。僕は仕事でもない限り神社に行く事なんか絶対にないのですが、一宮の真清田神社が契約カメラマン以外のカメラマンの立ち入りを禁止したようです。マナーが悪いカメラマンがいることが理由のようですが、契約しているカメラマンさんの要望なのだと思います。僕もつい先日お宮参りの撮影で行きましたが、マナーの悪いカメラマンなんか見当たりませんでした。大切なお子さんの晴れ姿の撮影をマナーの悪いカメラマンにお願いする人なんかいないですよね。